労災保険給付と損賠賠償
業務災害が発生した場合、事業主は、(事業主側に過失があろうがなかろうが)労働基準法により補償責任を負います。しかし、殆どの場合労災保険に加入しているので、実際上は、労災として労災保険給付が行われ、事業主は労働基準法上の補償責任を免れます。(但し、休業1〜3日目の休業補償は、労災保険から給付されないため、事業主が平均賃金の60%を支払う必要があります)
事業主は、労災を防止するため、労働安全衛生法に基づく安全衛生管理責任を果たさなければなりません。法違反がある場合、(労災事故発生の有無にかかわらず)労働安全衛生法等により刑事責任が問われることがあります。
法規定以外にも、例えば、適切な配置をし、十分な教育訓練を行い、更に過重労働を避けるといったことも、事業主の安全配慮義務として求められます。
(安全配慮義務についてはこちらを参照して下さい)
事業主側にこうした法違反や安全配慮義務違反といった過失があるときは、労働基準法上の補償責任とは別に、不法行為・債務不履行(安全配慮義務違反)等の事由により被災者や遺族から事業主に対し民法上の損害賠償請求がなされることもあります。この場合には、二重補填という不合理を解消するため、上記の労働基準法に基づく補償(或いは労災保険給付)が行われたときは、その価額分は民法による損害賠償の責を免れることが労働基準法で規定されています。
(つまり、業務災害に対しては、通常は事業主の災害補償の代わりに労災保険給付がなされますが、労災保険給付は、基本的に被災者が受けた損害の一部を補償するものです。災害の原因に事業主(事業主以外の第三者行為災害の場合は第三者)の故意又は過失があるとき、被災者が損害の全部を補償して欲しいということになれば、事業主(又は第三者)が労災保険でカバーしていない部分を賠償することになります。)
ここでは、こうした労災事故における事業者の損害賠償について、また、労災保険の対象となる事故が第三者によって生じた場合の第三者による損害賠償について説明します。合わせて、労災保険給付と厚生年金や国民年金から年金給付が同時になされるときの給付の調整についても説明します。
災害補償
業務災害が発生したときの事業主の災害補償或いは労災保険給付の概略は次の通りです。(詳細については、労働基準監督署にお問い合わせ下さい。)
- 事業主の災害補償
- 事業主の災害補償については、労働基準法第75条〜83条に規定されています
(従業員側に重過失があったとき(労基署の認定必要)は、下記の中、休業補償と障害補償の義務は免れます)- 療養補償(医療費等)
- 休業補償(平均賃金の60%)
- 障害補償(障害等級による(50日〜1340日分))
- 遺族補償(平均賃金の1000日分)
- 葬祭料(平均賃金の60日分)
- 次の労災保険給付がなされるときは、事業主は上記災害補償責任を免れます
(たとえ実際の労災保険給付額が上記災害補償額より低額でも、事業主は差額を支払う義務はありません)- 但し、この場合でも、最初の3日間については、労災保険からの休業補償がないので、事業主が平均賃金の60%の休業補償を行います
- 労災保険給付
- 殆どの民間の会社、団体、個人事業は労災保険に加入しているので、業務災害に対する補償は次の労災保険給付でなされます(詳細略)
- 療養補償給付(医療費等)
- 休業補償給付(給付基礎日額の60%)+特別給付金(給付基礎日額の20%)
- 傷病補償年金+特別給付金
- 障害補償給付(障害等級1〜7級は年金、8〜14級は一時金)+特別給付金
- 遺族補償給付(年金又は一時金)+特別給付金
- 葬祭給付
- 介護補償給付
- 特別支給金というのは、社会復帰促進等事業(援護事業)として労災保険給付とは別に支給されるものです
- 給付基礎日額は、平均賃金に相当する額です
- 労災保険給付は、業務災害だけでなく通勤災害についてもほぼ同様の補償がされます
- 労災保険給付がなされるかどうかは、@労災保険上の労働者なのかどうか、A業務災害(通勤災害)かどうか、の観点から労働基準監督署が判断します
- 労災認定については、多くの争いがあります(一部の裁判例についてはこちらを参照して下さい)
- 労災給付と年金の調整
- 労災(又は通勤)事故により、労災保険の年金給付(傷病補償年金、障害補償年金、遺族補償年金)と社会保険(国民年金、厚生年金)の年金給付の両方が受けられるときは、社会保険の年金は全額支給されますが、労災保険の年金給付は73〜88%に減額調整されます(詳細略)
- 労災保険給付額が調整されたことにより、社会保険からの保険給付額との合計額が、調整がないとしたときの労災保険給付額より少なくなるときは、その差額が労災保険より支給されます
- 受給権者が異なるときでも支給調整します
- 労災保険の一時金たる保険給付については、支給調整しません
- 労災保険の障害補償給付と、厚生年金保険の障害手当金が受けられるとき、障害手当金は不支給となり、障害補償給付は全額支給されます
- 労災保険の障害補償給付と国民年金の「20歳前傷病による障害基礎年金」が受けられるとき、国民年金の方が支給調整され、障害補償給付は全額支給されます
- 共済組合による年金給付が支給されるときは、労災保険給付は支給調整しません
損害賠償額の算定
業務災害が100%被害者の過失や不可抗力によって発生したのであれば、上記の労災保険給付(或いは事業主による災害補償)が法律に従って支給されれば、補償の問題は一応解決します。
しかし、もし、事故が事業主又は第三者によって引き起こされたとき、或いは事業主や第三者にも過失があるときは、被災者は、そうした加害者に損害賠償を請求することが可能となります。
- 被災者の損害
- 事故による被災者の損害項目としては、次のものが挙げられます
- 財産的損害
・積極損害:治療費、入院費及びその関連費用
・消極損害:休業損害及び逸失利益(障害による労働能力低下や死亡による賃金喪失) - 精神的損害
・入院、治療中の慰謝料
・後遺障害の慰謝料(後遺障害が残ったとき)
・死亡の慰謝料(死亡したとき)
- 財産的損害
- 上記損害の中、通常積極損害の全額と休業損害の60%は労災保険から給付されるので、この分を除くと、事故事例毎に、主な損害は次のようになります(休業損害に対し、20%の特別支給金が支給されますが、この分は控除しません)
- 入通院治療で完全に治癒したとき
休業損害(40%分)+入通院慰謝料 - 治癒後後遺障害が残ったとき
休業損害(40%分)+入通院慰謝料+逸失利益+後遺障害の慰謝料
(その他、ケースにより、住宅改善費用、介護費用、補装具の費用等も請求可) - 入通院治療後死亡したとき
休業損害(40%分)+入通院慰謝料+逸失利益+死亡の慰謝料+葬祭費用
(葬祭費用は、労災保険給付との差額)
- 入通院治療で完全に治癒したとき
- 個々の損害項目の額の算定の仕方については、日弁連が「交通事故損害額算定基準」(通称”青本”)を発行していますので、そちらを参照して下さい
- 損害額を算定したら、次に過失相殺と損益相殺を行います
- 過失相殺
- 過失相殺は、被害者と加害者の双方に過失がある場合、被害者の過失割合に応じて損害賠償額を減額するものです。交通事故の場合は、事故状況により大体の過失割合は決まるようですが、業務災害の場合は、裁判例もそれほど多くないため、訴訟毎に裁判官の判断に委ねているのが現状のようです。(過失相殺については、損害賠償額への影響は大ですが、これ以上の説明は控えます。)
- 損益相殺
- 損益相殺というのは、業務災害により、被害者側が何らかの経済的な利益を得た場合に、その分損害賠償額から控除すること言います。二重補填を避けることが目的で、労災保険給付、社会保険給付、自賠責保険(交通事故の場合)や事業主からの見舞金等が対象となります。
- 算定した損害賠償額から、まず過失相殺し、その後損益相殺するという順序(控除前相殺説)になります。この順序については、反対意見もあるようですが、最高裁の判断では一応確立しているようです
- 例えば、損害算定額を1000とし、被災者の過失割合を30%、損益相殺による控除額を200とすると、最終的な賠償額は、相殺の順序により差が生じます
・過失相殺後損益相殺のとき:(1000x0.7)−200=500
・損益相殺後過失相殺のとき:(1000−200)x0.7=560
- 例えば、損害算定額を1000とし、被災者の過失割合を30%、損益相殺による控除額を200とすると、最終的な賠償額は、相殺の順序により差が生じます
- 労災保険給付との損益相殺、更に社会保険(国民年金、厚生年金)との損益相殺について後述します。
労災給付と事業主の損害賠償
上記の通り、労災(又は通勤)事故に対しては労災保険より給付が受けられますが、一方で事業主にも過失があり、損害賠償の義務が生じた場合、二重補填を避けるために調整が行われます。(労災保険法64条)
- 労災保険給付先行時(履行の猶予)
- 通常は労災保険給付が先にされ、その分は損益相殺されます(損害賠償額から控除されます)
- 年金給付の場合は、将来給付分は損益相殺されないのが原則ですが、障害補償年金又は遺族補償年金については、前払い一時金制度があり、その前払一時金の最高限度額を限度として損害賠償が猶予されます
(損害賠償の履行が猶予されている間に、年金や前払一時金等が労災保険から支給されたときは、その分損害賠償額から控除されます)- 前払一時金の最高限度額には、年5分の法定利率を考慮します(2年目以降は、年5部の単利で割引)
- 遺族(補償)年金の場合は、先順位の受給権者が失権したことによる後順位の受給権者については控除しません
- 損害賠償先行時
- 労災保険給付の前に、損害賠償がなされたときは、その価額を限度として労災給付が支給されません
- 但し、次の労災保険給付については支給調整しません(前払一時金の限度額までは無条件に労災保険給付するということで、結局この限度額までは二重に填補されることになります)
- 前払一時金給付の最高限度額に相当する額に達する迄の間の年金給付
- 障害補償年金差額一時金及び遺族補償年金の失権後に支給される遺族補償一時金
- 前払一時金給付
- その他
- 調整対象となるのは、逸失利益、療養費、介護費、葬祭費等で、慰謝料は調整の対象となりません
- 企業内労災補償、示談金、和解金、見舞金等については、労災給付分を含むことが明らかである場合を除いて、調整は行いません(労災給付の上積み分や、損害賠償の性質を持たないものは調整されません)(労災保険給付があるからと、勝手に示談をしますとどちらからも補償されないということになりかねないので注意が必要です)
- 特別支給金は、調整の対象となりません
- 労災の支給が調整される期間は、次のいずれか短い期間の範囲です
- 前払一時金最高限度額相当期間の終了する月から起算して9年間
- 就労可能年齢(原則67歳)を超える迄
第三者行為災害
労災(又は通勤)保険事故が、第三者の(故意・過失による)不法行為によるものであり、第三者にも損害賠償の義務がある場合、二重補填を避けるために調整が行われます。この場合、「第三者行為災害届」を所轄の労働基準監督署に提出します。
- 労災保険給付先行時
- 労災保険給付(年金や前払一時金)が先に支給されたときは、政府がその給付額を第三者から返してもらいます
即ち、給付の都度、被災者又は遺族の損害賠償請求権を政府が代位取得し、直接その第三者に対して損害賠償請求権を行使します(求償といいます)- 求償は、事後発生後3年以内に支給すべき年金等について、その支払の都度行われます
- 調整対象となるのは、逸失利益、療養費、介護費、葬祭費等で、慰謝料は調整の対象となりません
- 同僚労働者からの加害事故については求償は行いません
- 自動車事故の場合は、自賠責保険に対して求償が行われます
- 損害賠償先行時
- 労災保険給付の前に、第三者から損害賠償がなされたときは、その価額を限度として労災給付が支給されません(控除といいます)
- 調整対象となるのは、逸失利益、療養費、介護費、葬祭費等で、慰謝料は調整の対象となりません
- 事故発生から7年(平成25年3月31日以前に発生した事故の場合は3年)を過ぎると、調整はなくなり、保険給付が支給されます
- 示談が成立し、その内容が受給権者の第三者に対する損害賠償請求権の全部の補填を目的としていれば、原則として保険給付は行いません(労災保険給付があるからと、勝手に示談をしますとどちらからも補償されないということになりかねないので注意が必要です)
損害賠償と国民年金・厚生年金
国民年金や厚生年金(以下、「年金」という)の受給者が労災(又は通勤)事故の被害者となったとき、或いは、労災(通勤)事故により、障害又は遺族年金を受給するようになったときに、損害賠償がどうなるかについて最高裁の判断を示します。
- 年金受給者が事故で死亡したとき、将来受給する筈の年金は逸失利益として損害賠償請求できるか?
- 老齢年金や障害年金は逸失利益として認められます(即ち、相続人が損害賠償請求できます)
但し、これら年金に加給分があるときは、加給分については認められません - これに対し、遺族年金受給者が事故で死亡したとき、遺族年金については逸失利益とはなりません(即ち、相続人による遺族年金の将来分に対する損害賠償請求は認められません)
- 老齢年金や障害年金は逸失利益として認められます(即ち、相続人が損害賠償請求できます)
- 事故による後遺障害により被害者が障害年金を受給する場合、或いは被害者の死亡により遺族が遺族年金を受給する場合、年金は損害賠償額から控除されるか?
- 既に支給された年金分のみ控除され、将来分は控除されないようです
- 遅延損害金があるとき、遺族年金は、まず遅延損害金に充当されます(余れば元本に充当されます)が、障害年金は、遅延損害金ではなく元本に充当されます
(因みに、自賠責保険金もまず遅延損害金に充当されますが、労災保険給付は元本に充当されるとのことです)