安全配慮義務
労働契約法第5条(労働者の安全への配慮)において、 「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と規定されています。
安全配慮義務には、必ずしも労働契約の存在を前提としません。例えば、元請業者と下請業者の労働者の間に指揮監督関係があれば存在し得ます。
これは、昭和50年に最高裁が、陸上自衛隊での事故において、国が国家公務員の安全に配慮する義務が有ると認めたことに始まり、昭和59年、民間企業においても事業主に同様の義務が有るとし、その後平成20年施行の労働契約法にて明文化されたものです。
安全配慮義務を怠ることにより労働者が損害を被ったとき、事業主は損害を賠償する義務を負います。業務上の災害については労災保険による補償がありますが、それとは別に民事上の損害賠償が発生する場合もあるということです。
安全配慮義務に関するこれまでの裁判例では、賠償額が億単位の高額のケースもあります。 更に、労働安全衛生法等の罰則や、事案によっては責任者が業務上過失傷害などの刑事責任に問われることもあります。(安全配慮義務違反に関する法的責任については、このページの最後に少し説明してありますので、参考にして下さい)
法的な責任以外にも、事故による事業停止や、社会的信用の失墜等、大きな経営リスクとなります。
安全配慮義務違反
労働安全衛生に関する安全(及び健康)配慮義務違反は、
@安全衛生上のリスクが予測でき(予見可能性)、
Aそのリスクの管理策があったにもかかわらず(結果回避可能性)、対策を講じなかった場合に、認められます。
後述の労働裁判例からは、安全配慮義務違反の有無が争点になった事例は、次のように分類されます。(限られたデータに基づくものです)
- 危険な作業における安全対策の不備による事故
- 温度、湿度、騒音、振動、粉じんや石綿(アスベスト)等有害物質への暴露といった作業環境に起因する疾病
- 長時間労働等、業務上の過重負荷による脳・心臓疾患や過労死
- 長時間労働や業務上のプレッシャー、或いはハラスメント等の心理的負荷による精神疾患(うつ病等)の発症や自殺
安全配慮義務違反となる、ならないの線引きは、、事例ごとに状況が違う中での司法の判断となりますので、断定できません(裁判例から、ある程度の傾向は推定できますが、最終的には裁判次第ということになります)が、いずれにしても、リスク管理の観点からは、労使間で紛争にならないように、特にこうした問題においては十分な注意が必要です。
安全配慮義務違反とならないようにとるべき措置
労働関係法令を順守することが基本対策となります。
労安衛法には、
@機械等の安全に関しては、ボイラー、圧力容器、クレーン等の特定機械等については、ボイラー則、クレーン則等の別規則が制定され、それ以外の機械等についても、安衛則第2編「安全基準」において詳細が規定されています
A有害な作業環境からの危害防止(主に衛生)に関しては、安衛則第3編「衛生基準」に一般的な基準が設けられ、そして、粉じん、有機溶剤、石綿、等の別規則が制定されています
Bそれ以外にも、作業環境の測定や、健康診断や面接指導の実施、又、安全衛生教育も義務付けられています
又、男女雇用機会均等法において、事業主がセクハラに対して雇用管理上講ずべき措置について指針が発行されています
しかし、安全配慮義務の対象範囲はもっと広く、法令順守だけでは十分とは云えません。例えば、
@安衛法では、リスクアセスメントの一部については全業種を対象としていません(尚、リスクアセスメントは、現行法では努力義務となっていますが、これは違反しても法的制裁は受けないということであり、順守しなくても良いということではありません)
Aパワハラに対しては、法律上の規定は明確ではありません
安全配慮義務違反とならないためには、まず努力義務も含めた法令順守ですが、更に加えて、
@徹底したリスクアセスメントの実施
A健康診断結果による所見の有無や、時間外労働時間の把握といった社員の健康管理
Bセクハラ防止のために義務付けられている対策措置をセクハラだけでなくパワハラ防止にも講ずること、が求められます。
安全配慮義務違反に関する判例
裁判所のホームページにある労働判例について、「安全配慮義務」をキーワードとして検索された判例及び労働新聞社「精選労働判例集2011年版」から抜粋したものです。
- 安全配慮義務違反が認められたもの
年月 | 事件名 | 事件の内容 | 裁判所 |
---|---|---|---|
H23.05 | 九九プラス | チェーン展開のコンビニ店長が長時間労働等によりうつ病(慰謝料100万円) | 東京地方裁判所 |
H23.02 | 東芝 | 液晶生産ライン開発担当の女性が、うつ病を発症(会社は、休職期間満了により解雇)(慰謝料485万円) | 東京高等裁判所 |
H22.10 | メディスコーポレーション | 肉体的,心理的に負荷の高い長時間労働等をしたことによりうつ病に罹患したことが原因で自殺(逸失利益 5780万円、慰謝料2600万円他、但し労災保険給付は相殺) | 前橋地方裁判所 |
H22.05 | 大庄 | 長時間労働による過労死 | 京都地方裁判所 |
H22.04 | 豊橋労基署長遺族補償年金等不支給処分取消 | 雇い入れ時の健康診断を怠る | 名古屋高等裁判所 |
H22.03 | 西松建設他 | 貸与された電気工具で作業中に感電し心的外傷後ストレス障害(PTSD) | 東京地方裁判所 |
H21.07 | 中部電力 | 石綿(アスベスト)に暴露することよる中皮腫発症 | 名古屋地方裁判所 |
H20.04 | 東芝解雇 | 過重労働によるうつ病発症 | 東京地方裁判所 |
H19.12 | 京千花損害賠償 | 長時間労働や心的負荷による心原性突然死 | さいたま地方裁判所 |
H19.10 | 山田製作所損害賠償 | 長時間労働や心的負荷によるうつ病発症、自殺 | 福岡高等裁判所 |
H17.03 | 福岡セクシャル・ハラスメント | セクハラを職場の者に相談したことにつき一方的に責められた上に不当に解雇され,心的外傷後ストレス精神障害(PTSD)を発症 | 福岡地方裁判所 |
H16.09 | 長崎新聞社損害賠償 | 長時間労働や心的負荷によるうつ病、その後自殺 | 長崎地方裁判所 |
H16.01 | オンテックス賃金請求 | 長時間労働 | 名古屋地方裁判所 |
H15.05 | 綾瀬市シルバー人材センター損害賠償 | プレスブレーキ操作中、誤って左手の4指をその基節骨基部から切断 | 横浜地方裁判所 |
H14.10 | 損害賠償請求控訴 | 長時間にわたる草刈り作業(振動工具)を保護具なしでしたため,頸肩腕症候群に罹患 | 広島高等裁判所 |
H14.02 | みくま農協損害賠償請求 | 台風に対する対処のまずさなどを思い悩んで精神疾患に罹患した末に自殺 | 和歌山地方裁判所 |
H13.09 | 群馬県埋蔵文化財調査事業団損害賠償 | 「藤つる」を採集する作業中,崖から転落 | 前橋地方裁判所 |
H13.02 | シマハラエンタープライズ損害賠償 | 知的障害者の社員が、工場において、クリーニング作業中機械に右腕を挟まれて右上肢完全切断等 | 大阪地方裁判所 |
H13.02 | 名糖運輸損害賠償 | 過重労働と精神的ストレスにより、冠動脈硬化を急激に著しく促進させ、急性心筋梗塞を発症、その結果死亡 | 大阪地方裁判所 |
H13.02 | 三洋電機サービス損害賠償 | 親の介護で課長職を負担と感じ、退職を示唆、その後自殺未遂、自殺 | 浦和地方裁判所 |
H12.05 | オタフクソース損害賠償 | 高温多湿の過酷な作業場での過重労働によるうつ病、その後自殺 | 広島地方裁判所 |
H10.03 | システムコンサルタント損害賠償 | 高血圧患者が、長時間労働により、高血圧性脳出血で死亡 | 東京地方裁判所 |
H09.01 | 改進社 | 製本機による外国人労働者の指切断 | 最高裁判所 |
- 安全配慮義務違反が認めらなかったもの
年月 | 事件名 | 事件の内容 | 裁判所 |
---|---|---|---|
H21.05 | 郵便事業株式会社就業規則変更 | 深夜帯で勤務する時間数が増加 | 東京地方裁判所 |
H15.04 | 地公災基金広島市支部長公務外認定処分取消 | ゴミ処理場における廃棄書類焼却作業に従事したこと等により肺真菌症を発症 | 広島高等裁判所 |
法的責任について
労働災害における事業者の責任には、@刑事責任、A民事責任、B行政処分の法的責任と、C社会的責任の4つがあると云われています。
- 刑事責任
例えば、労働安全衛生法第66条第1項には、「事業者は、労働者に対し、厚生労働省令で定めるところにより、医師による健康診断を行わなければならない」と規定されています。そして、第120条に、「・・・第66条第1項・・・の規定に違反した者は、50万円以下の罰金に処する」とあります。
一方、法第28条の2のリスクアセスメント条項には、罰則は付いていません。
このように、法令の規定には、罰則の付いているものとないものがあり、罰則のある規定に違反すると刑事罰が科されます。また、こうした規定に違反して労働災害が発生したときは、業務上過失致死傷罪に問われることも有り得ます。
- 民事責任
労働災害における民事責任の法的根拠は、安全配慮義務違反としての債務不履行責任と不法行為責任です。
上述のように、労働契約上の付随的義務として当然に、事業者は安全配慮義務を負うとされています。即ち、労働者が被災したのは事業者が十分に安全配慮しなかったからだということになると、事業者は債務を履行しなかったことになり、民法第415条の債務不履行として損害賠償を請求されることになります。
一方、法令に違反することによって、他人に損害を発生させると、民法第709条により、不法行為による損害賠償責任が発生します。これは、故意又は過失により他人の権利や利益を侵害した者は損害賠償責任を負うということで、例えば、「労働者が事故で負傷したのは、法第28条の2に規定されているリスクアセスメントを実施していなかったためである」と認められれば、事業者の不法行為にとなるということです。
尚、刑罰が科されたときにも、合わせて損害賠償が発生することがあることは言うまでもありません。
- 行政処分
行政処分としては、操業停止や許認可の取消等があります。